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神戸地方裁判所 昭和58年(行ウ)1号 判決 1985年6月24日

原告 磯邊信三

被告 芦屋税務署長

代理人 長野益三 杉山幸雄 奥田喜代志 中村正幸 ほか二名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対し昭和五六年七月一七日付けをもつてした昭和五五年分所得税の更正処分及び過少申告加算税の賦課決定処分(ただし、昭和五七年一〇月一四日付けで国税不服審判所長により取り消された部分を除く。)を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  本件課税処分の経過等

原告が昭和五五年分の所得税についてした確定申告、これに対する被告の更正処分、過少申告加算税及び重加算税の賦課決定処分(以下この更正処分と過少申告加算税の賦課決定処分を合せて「本件処分」という。)、被告の異議決定並びに被告のした賦課決定処分の一部を取り消した国税不服審判所長の裁決の経緯内容は別表(一)のとおりである。

2  本件処分の違法性

被告の本件更正処分は、租税特別措置法(昭和五三年法律第一一号により改正され、昭和五七年法律第八号により改正されるまでのもの、以下「措置法」という。)三五条一項に定める「個人がその居住の用に供している家屋、当該家屋とともにするその敷地に供されている土地」の解釈適用を誤つた違法がある。

(一)(1) 原告は、昭和二二年ころ宝塚市川面三丁目四二〇番宅地五九五・〇四平方メートル及び同所三丁目四二二番宅地二三・一四平方メートル(以下これらの宅地を合せて「本件土地」という。)を購入し、その後の昭和二四年ころ本件土地上に壁面を石積みとした木造平家建の建物を建築した(同建物は未登記であつたところ、後述のように訴外高畠稀男がこれを改築のうえ自らの名で所有権保存登記を経由して家屋番号四二二番木造瓦葺平家建居宅と表示されるに至つたもので、以下この建物を「本件家屋」という。)。

(2) 当時、原告は、妻子と共に本件家屋と道路をはさんで向いにあたる宝塚市川面一丁目一番四号(昭和四九年五月二九日までの原告住民登録地)所在の森田ふみ所有家屋(森田ふみは原告の妻利江の姉であり、以下この家屋を「森田家屋」という。)を賃借して居住し、本件家屋には原告の両親為治郎夫婦が居住し文房具店を営んでいた。

(3) 昭和二七年ころ、右為治郎夫婦が神戸市東灘区に転居したため、原告は本件家屋を訴外高畠稀男に賃貸したが、同人は原告に無断で本件家屋に増築を加え、さらに昭和三三年一〇月一五日には原告に無断でこれを新築として所有権保存登記を経由した。

その後、原告の妻が昭和四二年九月二七日に死亡し、子供らも順次独立して生活するようになり、原告の三男光英が昭和四七年に結婚して原告と同居していた森田家屋から転出した後は、原告は同所において独り暮しをする身となつた。

(4) ところで、本件土地につき原告と前所有者岡田治雄及び亡森本猶之介の相続人森本和男との間で、所有権移転登記をめぐつて争いが生じ訴訟にまで発展したが、昭和四六年から同四七年にかけて原告が和解金を支払うことで解決し(ただし、訴訟事件そのものは相手方による請求の認諾として終了。)、原告は本件土地につき所有権移転の登記を得ることができた。

さらに、本件家屋についても原告と訴外高畠稀男外三名との間で本件家屋の所有権等をめぐつて争いが生じたが、原告が和解金を支払うことなどで、昭和五二年三月三〇日訴訟上の和解が成立し、原告は右和解にしたがい、右高畠に対し本件家屋の売買名下に一一〇〇万円の和解金を支払うことにより、同人から昭和五二年一〇月六日付けで本件家屋の所有権移転登記を得ることができた。

(5) その後、右高畠が本件家屋から退去した昭和五三年一月、原告は森田家屋に置いていた原告ら家族の居住の用に供していた家財道具等一切を本件家屋に移し、以後、本件家屋を原告自身の居住用家屋に供することとした。そして、これら家財道具に対する長期火災保険契約について対象家財の所在地を宝塚市川面一丁目一番四号から本件家屋の所在地である同所三丁目六番二二号(住居表示)に移し、また、昭和五三年一月一〇日には本件家屋の所在地に原告の住民登録を移転した。

(6) このように、原告は本件土地及び本件家屋を手に入れるにつき、その購入、建築に多額の対価を支払つたばかりか、前記訴訟による紛争解決にも多額の出費を余儀なくされ、やつとの思いで本件土地及び本件家屋を現実に支配確保するに至つた。そして、原告はかねてから再婚を希望し本件土地及び本件家屋において快適な家庭生活を営みたいとの願いから、昭和五三年春ころから本件土地(二筆)に整地工事を施し、本件家屋の増改築をも予定していたところ近隣居住者から苦情が出たため、本件家屋の増改築工事は一頓座せざるをえなくなつた。

このような折、訴外株式会社ヤマニビルドに勤務する原告の友人松本正次郎から原告に対し、本件土地を購入したい旨懇請されたところから、原告は、昭和五五年一月七日本件土地及び本件家屋を一億円で訴外株式会社ヤマニビルドに売却した。

(7) ところで、森田家屋及び本件家屋における原告の居住生活状況は、次のとおりであつた。

原告は、訴外株式会社磯邊商店(以下「磯邊商店」という。)の代表取締役であるが、長年小型箔押機の研究開発に従事し、昭和四二年に妻を亡くしてからは勤務先である磯邊商店本店建物(その所在地は原告の現住所である。)における研究開発が夜間にまで及び、三男光英が独立して独り身となつてからは一層研究開発に没頭することとなり、森田家屋に帰宅する回数も減少した。昭和五一年一一月五日発明奨励賞、昭和五二年五月三一日特別功労賞、同年黄授褒賞と次々に各賞の褒賞を得る身となつて、原告は以前にもましてますます研究開発に打ち込み、昭和五三年一月に本件家屋に入居した後も週に一ないし二度帰宅する程度の生活ではあつた。しかし、原告はいつでも帰宅して利用できるよう、自ら又は家政婦により日常的に清掃等を行いその維持管理に努め、事実、帰宅しては休息・睡眠等の用に供し、あるいは知人を招いたりして利用していた。

(8) 次に、磯邊商店本店建物の構造と原告の居住状況は、以下のとおりであつた。

昭和五三年当時の磯邊商店は、従業員七ないし八名を使用し、内四名の作業員は連日油まみれになつて施盤、ボール盤等を使用して箔押機の製造開発改良に従事していた。同建物二階部分の事務室、応接室は磯邊商店の本来の業務に専用していた。和室二部屋は従業員の休息、定期的に来訪する顧客や原告自身の宿泊に、浴室は退社前の従業員の汗と油を落すために、食堂は従業員らが給食弁当を食べたり団らんをするために、それぞれ使用していた。また、一家を構えた家庭生活に適する調度、家財等はきわめて不十分で、平穏かつ最低限快適に過すにはほど遠い設備状況であつた。事実、原告は、食事の大半を外食に依存し、前記設備も従業員と共用し、和室の一室でやつと寝ることができたにすぎず、原告一人の生活の便、安らぎを得られるような独立の空間すら存在しなかつた。

このことは、原告の四男譲が結婚して独立する直前の昭和五三年二月二四日ころまで、磯邊商店本店建物増築前の屋上部分にプレハブ簡易建物を設けてここを居所としていたことからも明白である。そして、右一事をもつてしても、被告の磯邊商店本店建物二階部分は、事業部分と居住部分とが区別されていたものでないことが明らかである。

このように、原告は、昭和四二年妻を失い子供らが相次いで独立するなかで、小型箔押機の研究開発に寝食を忘れて没頭するという特殊の生活状況と独り身の身軽さから、磯邊商店本店建物で起居生活の大半を過さざるを得なかつたものであるが、原告はもともとは本件家屋で安らぎのある生活を送ることを強く希望しその準備もしていたものであるから、原告にとり磯邊商店本店建物での生活は、研究開発が一段落し、再婚ないし子供らとの同居が実現するまでの仮の一時的な居住にすぎなかつた。

その後、原告は、はからずも本件土地及び本件家屋を売却することとなつたが、そののちの昭和五六年一〇月ころ居住用代替資産として磯邊商店本店建物三階部分を二八六三万円で増築し、四男一家と同居することとなつた。原告は、ダイニングルーム、和室等を備えた三階部分を増築し生活用品を購入備置することによつて始めて、一家団らんを営むに足りる快適な居住空間と生活設備と環境を得ることができた。

(9) さらに、本件家屋における昭和五三年から本件家屋を売却するころまでの電気、ガス、水道の使用量が極めて少なかつたことは認めざるを得ないが、原告の右のような特殊な居住状況からすると、これをもつて本件家屋が居住用でないとはいえない。(松山地方裁判所昭和五四年(行ウ)第一〇号昭和五七年九月二九日判決参照)。

(10) また、原告は、住民登録を何度か移転しているが、その理由は以下のとおりである。

昭和四九年五月三〇日付けで森田家屋から磯邊商店本店に住民登録換えをしたのは、当時、社団法人発明協会支部兵庫県発明協会で、原告の前記小型箔押機の開発に関し各種表彰の推薦を受ける見込みがあり、その発明に対する社会的貢献度は、その開発に関連した事業所所在地において評価を受けるものと聞いたので、右のような住民登録換えをする必要があるものと思つてしたにすぎない。したがつて、住民登録換えをもつて原告の居住移転意思の徴表とは決していえない。

次に、昭和五三年一月一〇日に本件家屋所在地に住民登録換えをしたのは、すでに期待された各種褒賞も尽くされ、訴外高畠稀男の立退きがあつたことから本件家屋を名実共に原告の居住の用に供するように、住民登録換えの手続をとつたにすぎないものである。

さらに、昭和五五年三月一一日再び磯邊商店本店に登録換えをしたのは、同年一月七日本件土地及び本件家屋の売却を終え、以後原告の居住地を磯邊商店本店の建物に三階部分の増築を施しここに生活の本拠を構える計画で、その準備に入つたからである。

(11) 以上、要するに原告の本件家屋ないし磯邊商店本店建物における居住生活状況(昭和五三年一月から昭和五五年一月七日までの間)につき、原告の独り身という立場とその職務内容の特殊性等を十分考慮すれば、原告は本件家屋に真実居住する意思をもつて、現実に居住していたということができる。

また、仮に右のように解することができないとしても、本件土地及び本件建物の譲渡代金の一部を資金として居住用代替資産である磯邊商店三階部分を増築したことは措置法三五条一項の趣旨(居住用代替資産を譲渡した場合には、居住用代替資産としての通常の家屋を特別控除額の範囲内で取得する蓋然性が高いので、特別控除額を認めて国民生活の安定を図るという配慮に基づく)に合致することからしても、本件土地及び本件家屋の譲渡所得につき措置法三五条一項の適用を認めるべきである。

(二)(1) 仮に、右主張が認められないとしても、措置法三五条一項に定める「個人がその居住の用に供している家屋、当該家屋とともにするその敷地に供されている土地」とは、それが譲渡の当時現実に居住用家屋の敷地に供されている土地のみに限らず、所有者が居住用家屋の敷地に供する意図(ただし、この意図は近い将来において実現されることが客観的に明白である場合)のもとに所有している土地をも含むと解すべきであり(最高裁判所昭和四〇年(行ツ)第八七号昭和四二年五月一九日判決、民集二一巻四号八九六頁参照)、本件土地の譲渡は少なくとも右後段に該当するので、措置法三五条一項の適用を認めるべきである。

なお、右最高裁判所判決の判示は、居住用財産等の買換えの場合等の譲渡所得の課税の特例制度下における当時の租税特別措置法(昭和三八年法律第三五号による改正前のもの、以下「旧措置法」という。)三五条一項、四項に関して居住用財産の概念を明らかにしたものである。同条項は居住用財産を譲渡して居住用財産を取得する場合に着目して居住用代替資産取得の保護を図るものであつた。その後昭和三八年の改正により、同条項は譲渡財産が土地・家屋でありさえすれば居住の用に供されていたかどうかを問わないところまで特例の適用を拡張された。他方、旧措置法三八条の二第一項には居住用財産を単に譲渡(取得財産が居住用かどうかを問わない。)した場合一律五〇万円の特別控除を受ける制度を有していた。このように、当時は、<1>居住用財産の買換えの特例制度と、<2>居住用財産の譲渡所得の特別控除制度の二制度が併存していた。そして、その制度の内容、改正の経過のほか<2>の控除額が居住用代替資産取得価の実質課税とは到底いえない低額(五〇万円)であることをも考え合せると、当時は右<1>の制度が主軸で右<2>の制度が補充的な役割を担つていたということができる。

昭和四四年の租税特別措置法の改正(昭和四四年法律第一五号)に際して、右<1>及び<2>の制度は一本化された。すなわち、控除額が五〇万円から一〇〇〇万円に飛躍的に増大されたこと、右<2>の制度においては連年適用が可能であつたにもかかわらず昭和四四年の改正では前年又は前々年に当該制度の適用を受ける場合を排除していることは右<1>において時期的に厳格な適用要件を定めていた流れをくむものであることからすると、右<1>の制度の実質が右<2>の制度に吸収された結果不要のものとして廃止されたものと解される。

そうすると、旧措置法三五条一項と昭和四四年に改正された措置法(したがつて本件処分当時の措置法)三五条一項との間には法意の連続があり、旧措置法三五条一項の解釈適用を示した前記最高裁判所の判示は、本件においても妥当するものである。

(2) 右解釈につき、措置法が例外的規定で狭義厳格に解釈すべきであるとしても、居住用代替資産の取得保護という措置法三五条一項の趣旨を生かし、かつ税負担の公平の要請とその調和を図る必要からすれば、右解釈に加えるに「当該財産の譲渡後、社会通念上相当期間内(だいたい資産取得の準備と建築完成に至る工期として必要と言い得る期間、一ないし二年くらいが相当)に現実に居住用代替資産を取得した場合」との要件を加味して解釈すればたりる。

(3) そこで本件においては、前記主張のとおり、原告は本件土地及び本件家屋の所有支配を回復し自己の居住の用に供するため訴訟を含む多年の努力及び金銭的犠牲を強いられ、昭和五三年に至りようやくその所有支配の回復を得たこと、本件譲渡当時既に原告が自己の居住の用に供しようとする家屋が既に存在していたこと、昭和五三年春から夏ころにかけて本件家屋の増築と、本件土地を整備利用する意図のもとに本件土地の地上げ整地工事を施し完了したことからすると、自己の居住の用に供しようとする本件家屋の敷地として本件土地を供しようとしていた原告の意図は本件土地及び本件家屋を譲渡する以前において既に客観的に明白になつていたものである。事実、本件土地及び本件家屋を心ならずも譲渡して一年余りのちに至つて磯邊商店三階部分に居住する意図を確定し、同三階部分を居住用に増改築し生活用品をととのえて、同所を生活の本拠とするに至つている。

したがつて、原告は本件土地及び本件家屋を譲渡後一年余りたつて居住用代替資産を取得したのであるから措置法が例外的規定でその解釈を狭義厳格にしても、措置法三五条一項を適用すべきである。

3  よつて、原告は前記請求の趣旨記載のとおりの判決を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2  同2冒頭の主張は争う。

3  同2(一)について

(2)のうち原告主張の住民登録をしていたこと、(3)のうち原告の妻が死亡したこと、(4)及び(5)のうち原告と訴外高畠稀男との間に和解が成立し同人が昭和五三年一月ころ本件家屋から立ち退いたこと、(6)のうち本件土地及び本件家屋を昭和五五年一月七日に一億円で訴外株式会社ヤマニビルドに売却したこと、(7)のうち原告が磯邊商店の代表取締役であること、(10)のうち原告主張のように住民登録が移転していることは、いずれも認める。その余は否認又は争う。

4  同2(二)、同3はいずれも争う。

三  被告の主張(本件処分の適法性)

1  本件家屋は、措置法三五条一項に定める「居住の用に供している家屋」とはいえない。

(一) 原告の住民登録は、以下のように移転している。

(1) 昭和二〇年九月一五日から昭和四九年五月二九日まで

宝塚市川面一丁目一番四号

(2) 昭和四九年五月三〇日から昭和五三年一月九日まで

神戸市東灘区深江本町三丁目五番六号

(3) 昭和五三年一月一〇日から昭和五五年三月一〇日まで

宝塚市川面三丁目六番二二号

(登記簿上の所在地は同所三丁目四二二番)

(4) 昭和五五年三月一一日以降

神戸市東灘区深江本町三丁目五番六号

(二) 原告は、昭和四九年ころ原告の義姉にあたる訴外常深富久子の所有する宝塚市川面一丁目一番四号の家屋(原告は森田ふみ所有と主張し「森田家屋」と略称しているので、以下便宜上「森田家屋」という。)から磯邊商店本店建物に転居し、一部家財道具及び死亡した妻の荷物を森田家屋に残し、転居の約三か月後、仏壇等の祭祀の用具を含めてほとんどの家財道具を磯邊商店本店建物に移した。原告が森田家屋に残した右家財道具等は、原告が転居した後の昭和四九年三月二一日森田家屋に入居した右常深富久子の管理下におかれることとなつた。

(三) ところで本件家屋には、訴外高畠稀男が居住していたが、原告と裁判上の和解が成立し、昭和五三年一月ころ右高畠稀男は本件家屋を立ち退いた。そこで、原告は訴外常深富久子の管理下にあつた前記家財道具の一部等を本件家屋に移し、本件土地及び本件家屋を譲渡するまでの間他人に管理させていた。

(四) 昭和五三年一月から本件土地及び本件家屋が譲渡される昭和五五年までの間における本件家屋の電気、ガス、水道の使用料は別表(二)、(三)のとおりであり、全く使用された事実がないといつても過言ではなく、右料金も磯邊商店本店建物に近接する訴外株式会社太陽神戸銀行深江支店の原告名義の普通預金口座から基本料金のみ支払われている。

また、当時本件家屋に電話が架設された事実はない。

そうすると、原告が独り身であること、原告主張の研究開発に没頭していたことを考慮しても、本件家屋に居住していたとはいえず、週一ないし二回本件家屋の維持管理に帰宅していたことすら、疑わしいといわなければならない。

(五) 他方、原告が昭和四九年以降居住していたとみられる磯邊商店本店建物は、登記簿上は工場兼居宅となつているほか、その二階部分は業務用とは別個に、玄関を設けて事務室等と完全に区分された居住用部分が設けられている。この居住用部分は、和室二部屋、DKルーム等約五〇平方メートルの空間があり、業務用とは別に便所及び炉事場も設けられていることからして原告の生活の拠点としてはその機能を十分に備えている。まして、本件家屋の床面積が四六・五六平方メートルであり、磯邊商店本店建物の居住用部分の方が広いから、右居住用部分が居宅としてよりふさわしいものである。

また、原告の四男譲は昭和四八年三月一三日ころから結婚する昭和五三年二月二四日までの間、磯邊商店本店建物(当時屋上に増設されていたプレハブ建物)に居住し、右居住用部分の各種設備を利用して原告とともに生活していた。

(六) さらは、原告が昭和五四年二月ころから受給している厚生年金の所得税源泉徴収票、及び本件建物等に係る固定資産税納税告知書の送付先は、磯邊商店本店所在地(原告の肩書地)である。

また、本件家屋所在地を管轄する訴外西宮税務署長が、昭和五四年六月一九日付けで本件家屋所在地あてに郵送した原告の昭和五四年分所得税に係る予定納税額の通知書は送達不能として返戻されている。

しかも、被告が昭和五四年七月二六日付けをもつて原告の事業形態につき照会したところ、原告は昭和五四年七月三〇日に磯邊商店本店所在地を住所地として被告あて回答している。

(七) ところで、措置法三五条一項の趣旨は、居住用財産を譲渡した場合、新たに居住用代替財産の取得が行われるのが通常であること、通常の居住用財産であれば特別控除額の範囲内で取得できるであろうことから、その譲渡について従前とられていた課税の繰延べ(昭和四四年法律第一五号による改正前の措置法三五条に定める居住用財産取得のための買換えの特例)に代えて、特別控除という免税制度を設けることにより、居住用代替財産の取得を容易にしたものである。

また、同条項が特別控除について連年適用を認めず三年に一度の適用を認めたにとどまつたのは、居住用代替財産取得の場合これを三年程度の短期間に譲渡することは通常考えられないこと、連年適用を認めると数戸の家屋所有者が一年ごとに居住家屋をかえることによつて特別控除制度を濫用し譲渡益の脱漏を図る等の弊害を生ずるのを防止するためである。

このような特別控除及び連年適用制限の制度の趣旨からすると、措置法三五条一項の「居住の用に供している家屋」とは、譲渡時若しくはこれに近い時期までに、その者がある程度の期間継続的に真に居住する意思をもつてこれに起居し、生活の本拠として利用している家屋をいうと解すべきである。そして、その者が生活の本拠として利用している家屋であるかどうかは、その者及び社会通念に照らしその者と同居することが通常であると認められる配偶者その他の者の日常生活の状況、その家屋への入居目的、その家屋の構造及び設備の状況その他の事情を総合勘案して判断すべきである。

そうすると、前記諸事情からして原告が本件家屋にある程度の期間継続的に真に居住する意思をもつて居住していたとはいえないので、本件家屋を生活の本拠としていたとはいえない。

2  原告の請求原因2(二)の主張について

(一) 居住用財産の譲渡所得の課税の特例について

(1) 旧制度による買換えの特例と特別控除制度

ア 居住用財産の譲渡所得の課税の特例は、昭和二七年に戦後の住宅不足の状況にかえりみ、国民生活安定の基盤となるべき住宅建設の促進を税制面から援助しようとする見地から、いわゆる居住用財産買換えの特例が設けられた(租税特別措置法(昭和二一年法律第一五号。昭和二七年法律第六一号による改正後のもの)一八条一項)のが、そのはじまりである。当時は譲渡財産も取得財産もともに居住用財産である場合に限つて、特例を適用することとされていた。

イ さらに、昭和三六年に至り、現に自己が居住している家屋とその敷地を譲渡するのは、一般の財産の譲渡とは異なり、よくよくの事情があつてのことと考えられること、したがつて他の一般の財産の譲渡に比して担税力が弱いことを考慮して、居住用財産の譲渡所得については、三五万円の特別控除をすることとされた(旧措置法(ただし、昭和三六年法律第四〇号による改正後のもの)三八条の二第一項)のである。

ウ 昭和三八年には、居住用財産の買換えの特例について、住宅建設を促進するという趣旨からみれば、取得財産が自己の居住の用に供する資産である限り、譲渡資産については、特に居住用に限定する必要はないとの考え方から、譲渡財産は土地等又は家屋であればよく、居住の用に供していたかどうかにかかわりなく特例の適用をするよう譲渡財産の範囲が拡大された(旧措置法(ただし昭和三八年法律第六五号による改正後のもの)三五条一項)。したがつて、最高裁判所昭和四二年五月一九日判決にいう居住用財産の買換えの制度による「居住の用に供する家屋の敷地に供される土地」がいかなる土地をいうかの解釈上の問題点は解消された。

(2) 現行の特別控除制度

昭和四四年の土地税制の改正(昭和四四年法律第一五号による改正。以下改正後の租税特別措置法を「旧措置法」と区別するため、しばらくは「新措置法」ともいう。)によつて、一般の土地建物等の長期譲渡所得について分離比例課税制度が導入される一方、仮需要の抑制と短期保有土地の値上がり益を吸収するため、土地建物等の短期譲渡所得に対しては重課制度が設けられるなど画期的な改正がされたのであるが、居住用財産の買換え制度は、当時においては、山林などを譲渡した者が単に課税の繰り延べを受けるため豪華な邸宅を新築したり、当面不必要な居住用財産を取得するなど不自然なケースが目立ちはじめ、弊害がメリットを上廻るようになつていた一方、この制度は、居住の規模を維持ないし拡大するときは課税が繰り延べられるのに、居住の規模を縮小するときは課税されるため不公平な制度であるとの批判もされてきていたので、右に述べた一般の土地建物等の長期譲渡所得に分離比例課税制度が導入されたこと、昭和三六年以来実施してきた居住用財産の譲渡所得の特別控除制度を大幅に拡充してその控除額を一〇〇〇万円とする新しい居住用財産の譲渡所得の特別控除制度が設けられたことに伴い廃止されたのである。

昭和四四年の土地税制の改正により設けられた居住用財産の一〇〇〇万円の特別控除制度は、右に述べたとおり従来の三五万円の特別控除制度の要件を一部改正してその特別控除額を一〇〇〇万円に引き上げたものであり、居住の用に供している家屋を何らかの事情で売却する場合には、通常は新たな住居を取得する必要があるから、その際にその税金分だけ、居住の規模を縮小しなければならないというのでは、酷になる場合もあろうということで、いわば通常の住居の移転の際には、買換えの制度のような課税の繰り延べ措置でなく、はつきり免税にしようとして、設けられたものである。

そしてこの特別控除額は、昭和四八年一七〇〇万円に(昭和四八年法律第一六号による改正)、昭和五〇年三〇〇〇万円に(昭和五〇年法律第一六号による改正)引き上げられた。

(3) 以上のとおり新措置法三五条の規定は、旧措置法三八条の二の規定を一部改正したものである。

したがつて、旧措置法と新措置法の条項が、ほぼ同一であることのみをもつて、文理上全く異なる旧措置法に関する最高裁の判示を、新措置法においても妥当とする原告の主張は失当である。

(二) 居住用財産の譲渡所得にかかる特別控除の特例の意義について

居住用財産の譲渡所得にかかる特別控除の特例の趣旨は、前述のとおりである。

そして、租税法規における非課税要件の規定は、例外的規定としての地位にあり、その解釈に当つては狭義性、厳格性が要請されるのであるから「個人がその居住の用に供している家屋で政令で定めるものの譲渡若しくは当該家屋とともにするその敷地の用に供されている土地の譲渡……」における土地の概念についても、字義どおり厳格に解すべきであつて、みだりに拡張解釈することは許されない。

新措置法三五条の「居住用財産の譲渡所得の特別控除の特例」は、「その居住の用に供している家屋」を核として構成されており、土地の譲渡にあつては災害によりその居住用家屋が滅失した場合を除き、その居住用家屋が現存する場合で、かつ、その居住用の家屋とともに譲渡されるその家屋の敷地に供されている土地に限り、この特例の対象とされ、土地のみの譲渡については、原則としてこの特例の適用はない。

このことは、旧措置法三五条が「供される土地」と、新措置法三五条が「供されている土地」とそれぞれ規定し、前者の概念が後者の概念を包含する広い概念であることからも、支持されるべきである(このことからしても前記最高裁判所昭和四二年五月一九日判決は本件に妥当しない。)。

したがつて、仮に原告が将来本件土地に住居を建築する意図があつたとしても、それが譲渡の当時原告の居住用家屋の敷地の用に供されていないのであるから、原告の主張は失当である。

四  被告の主張に対する原告の認否

1  被告の主張1について

冒頭の主張は争う。(一)は認める。(二)は否認する。訴外常深富久子とは森田ふみの誤りである。昭和四九年当時の磯邊商店本店建物は、その構造及び利用状況からみて到底原告の家財道具を持ち込めるものではなかつた。本件家屋を売却した際も家具類は磯邊商店本店建物に持ち込んではおらず、原告の義兄北光雄宅(宝塚市川面一丁目七番四号)に移し、その後処分した。磯邊商店本店建物三階部分を増築しここに居住するに至つて家財道具は新規に購入した。また、仏壇等の祭祀については原告の姉下村たみにその管理を委ねるため、神戸市東灘区深江本町三丁目四番三号の同女宅へ移した。(三)の前段は認め、後段は否認する。(四)の本件家屋の電気、ガス、水道の使用料が少ないことは認め、原告が本件家屋に居住していないとの主張は争う。(五)のうち磯邊商店本店建物二階部分が業務用と居住用に区分されている事実は、否認する。(六)は認める。(七)の主張は争う。

2  被告の主張2は争う。

第三証拠<略>

理由

一  請求原因1は、当事者間に争いがない。

二  本件家屋の措置法三五条一項に定める「居住の用に供している家屋」の該当性について

1  措置法三五条一項は、居住用財産を譲渡した場合の譲渡所得の計算にあたり、一定額の特別控除を認めているが、その趣旨とするところは、人間生活の基礎となる住宅事情を税制面から考慮して、居住用財産を譲渡した場合、いずれほかに居住用財産を求めなければならなくなるが、通常の居住用財産であれば特別控除額の範囲内で取得でき、居住用代替財産の取得を容易にできるようにし、特別控除という免税制度によりその税負担を軽減することにある。他方、同条項は特別控除についてその乱用を防止するため連年適用を認めず三年に一度の適用を認めるにとどめている。したがつて、このような特別控除及び連年適用制限の制度趣旨から考えると、同条項に定める「居住の用に供している家屋」とは、譲渡時若くはこれに近い時期までに、その者がある程度の期間継続的に真に起居するなど実質的に生活の本拠として利用している家屋をいうものと解すべきである。そして当該家屋を生活の本拠としているかどうかは、その者及び配偶者等家族構成員らの日常生活の状況、その家屋への入居目的、その家屋の構造、規模、設備及び管理の状況その他の諸事情を総合的に勘案し社会通念に照らして判断すべきである。

2  そこで、本件家屋が同条項に定める「居住の用に供している家屋」に該当するかどうかについて、検討する。

(一)  原告の住民登録が、昭和四九年五月二九日まで宝塚市川面一丁目一番四号に、翌三〇日から昭和五三年一月九日まで神戸市東灘区深江本町三丁目五番六号に、翌一〇日から昭和五五年三月一〇日まで宝塚市三丁目六番二二号(登記簿上の所在地は同所三丁目四二二番)に、翌一一日以降は再び神戸市東灘区深江本町三丁目五番六号にそれぞれ登録されていたこと、原告の妻がすでに死亡していること、本件家屋につき原告と訴外高畠稀男との間に和解が成立し同人が昭和五三年一月ころ本件家屋から立ち退いたこと、原告が本件土地及び本件家屋を昭和五五年一月七日一億円で訴外株式会社ヤマニビルドに売却したこと、昭和五三年一月ころから右売却に至るまでの間の本件家屋の電気、ガス、水道の使用量が極めて少なかつたことは、いずれも当事者間に争いがない。

(二)  <証拠略>を総合すれば、以下の事実を認めることができ、<証拠略>は前記各証拠と対比してにわかに措信することができず、他に同認定を左右するに足りる証拠はない。

(1) 原告は、昭和二三年ころ食糧不足であつたことから野菜をつくるため本件土地を購入したが、遅くとも昭和二四年ころまでには本件家屋(登記簿上の地番は宝塚市川面三丁目四二二番、住居表示は同所三丁目六番二二号)を建て、昭和二七年ころまで原告の両親が本件家屋で文房具店を経営していた。当時の間取りは地下室があるほかは玄関を入つたあとは四・五畳間がある程度であり、風呂、台所、便所等はなく、したがつて原告の両親は本件家屋で寝起きするのみで食事等は当時原告が借りていた、本件家屋の向側の森田家屋(被告は常深所有というが前記証拠によると森田ふみ所有である。)でしていた。

(2) 原告の両親が本件家屋から昭和二七年ころ引つ越したのち、原告は義兄北光雄の懇請により本件家屋を訴外高畠稀男に賃貸した。その後、本件土地の所有権移転登記をめぐり、前所有者岡田治雄及び亡森本猶之介の相続人森本和雄との間で紛争が起り、昭和四六年から同四七年にかけて原告が再度金員を支払うことで事実上和解が成立(訴訟上は請求の認諾)し、そのころ本件土地の所有権移転登記を経ることができた。そこで、原告は訴外高畠稀男に対し家屋明渡しを請求し、結局原告が本件家屋の売買名下に一一〇〇万円を支払うことにより、右高畠は昭和五二年一〇月六日に原告に対し本件家屋の所有権移転登記手続を終え、さらに昭和五三年一月に本件家屋を明け渡した(この明渡しについては当事者間に争いがない。)。

当時の本件家屋の間取りは、玄関を入ると四・五畳、七畳の和室二間と四・五畳の広さの板の間等のほかに風呂、台所、便所等を備えられていた。右改築は原告の承諾を得て右高畠がしたもので、その後本件家屋を訴外株式会社ヤマニビルドに売却するまで、本件家屋の間取りの変化はなかつた。

(3) ところで、原告の妻利江は昭和四二年九月二一日死亡し、その当時、原告には既に勤めに出ている長男信一郎、大学生の三男光英、大学入学を前にした四男譲の三人の子供がいた。これらの子供がそれぞれ独立するにともない、原告自身もついに森田家屋において独り暮しをするようになつたが、原告は昭和四九年には森田家屋を出る羽目となつて磯邊商店本店建物に移つた。その際、原告は一部の家財道具の管理を同女に依頼したり、他の親戚の許にも預けた。

(4) その後、前記認定のように原告は昭和五二年一〇月六日に本件家屋の所有権移転登記手続を終えたので、そのころ右家財道具を本件家屋に移し、本件土地及び本件家屋を訴外株式会社ヤマニビルドに売却するまで、他人に右土地家屋を管理させていた。なお、昭和五三年ころから本件家屋を売却するまでの間本件家屋内部には、机、椅子、テーブル、テレビ、整理ダンス、鏡台、扇風機、座蒲団、やかんとか鍋のような台所用品、寝具等が備えてあつたが、電話はなく、新聞もとらず、NHKの受信料も支払つていなかつた。また、本件家屋所在地の自治会にも加入していなかつた。

(5) 本件家屋における昭和五三年一月から昭和五五年三月までの電気、ガス、水道の使用状況は別紙(二)(三)のとおりであり(ただし、少なくとも水道の使用量零立方メートルは使用量が零から一立方メートル未満の趣旨である。)、原告はそれぞれの基本料金を、磯邊商店本店建物に近い太陽神戸銀行深江支店の原告名義の普通預金口座から支払つていた。

(6) 原告が昭和五四年二月ころから受給している厚生年金の所得税源泉徴収票並びに本件土地及び本件家屋に係る固定資産税納税通知書は、磯邊商店本店建物所在地に送付されており、また、原告は、昭和五四年七月二六日付けの磯邊商店本店建物所在地を管轄する被告からの「事業形態の照会」についての問合せに対し、その住所を磯邊商店本店建物所在地として同年七月三〇日に被告あて回答した。

(7) 他方、本件土地及び本件家屋所在地を管轄する西宮税務署長が、昭和五四年六月一九日付けをもつて本件家屋所在地あてに発した原告の昭和五四年分所得税の予定納税額通知書に係る普通郵便は、送達不能により返戻された。

(8) ところで、磯邊商店本店建物は昭和四六年に鉄筋二階建に新築し一階は工場などとして使用し、二階は来客等に使用していたものであるがその二階部分の間取りは四・五畳及び六畳の各和室、一〇畳の洋間、一〇畳の炊事場兼食堂、八畳及び一二畳の事務室ないし応接室、浴室並びに便所(二箇所)を備えた床面積一一六平方メートルの広さであり、同所にはテレビ、テーブル、ベツドのほか来客があつても不自由しない程度の食器類を備えていた。

(9) なお、原告は昭和四二年に妻を亡くしてからは長年のテーマである小型箔押機の研究開発に以前にもまして没頭し、原告主張のような数々の褒賞を得たほどであるが、そのため同人の日常生活のほとんどすべてが右小型箔押機の研究開発に向けられ、昭和四九年に磯邊商店本店建物に移つてからは、昭和五三年ころに訴外高畠稀男から本件家屋の明渡しを受けても、家財道具を本件家屋に移した程度で、依然磯邊商店本店建物で起臥寝食をして小型箔押機の研究開発に没頭し、本件家屋では研究開発に疲れた時などに時折寝泊りしていたにすぎなかつた。

もつとも原告は、昭和四九年五月三〇日付けで磯邊商店本店所在地に住民登録を移したが、これは小型箔押機の開発に関して表彰を受けうる見込みがあり、そのためには開発に関連した事業所の所在地であることが必要であつたので居住意思とは無関係に住民登録を移転したと主張し、同人の尋問結果においても同旨の供述をしているが、弁論の全趣旨によれば原告の受けた各種褒賞の受賞地は受賞者の住所地、勤務先所在地等いずれにおいても可能であつたこと、原告は現実の受賞が昭和五一年一一月五日と自認しているので住民登録を移してから二年余り経過して受賞し、その一年二か月余り後に再び本件家屋所在地に住民登録を移していることのほか、森田家屋を出るようになつたいきさつ等を総合すれば、右原告本人尋問結果はただちには措信できない。

3  以上の事実によると、原告は将来本件家屋に居住する意図のもとに多大の労力と多額の和解金を支払つて本件土地及び本件家屋の所有権移転登記を済ませ、昭和五三年一月には本件家屋に家財道具等を搬入し何時でも入居生活できる状況にしながらも、独り身の身軽さと当時原告主張の研究開発に没頭し多忙であつたために磯邊商店本店建物二階部分で起居寝食して殆んどの時間を同所で過し、本件家屋では時折寝泊りしていたにすぎなかつたことがうかがえるが、原告の右居住の意思と本件家屋の規模、構造、設備及び生活環境、原告の本件家屋の管理利用状況、原告主張の特殊な生活状況等を総合考慮すると、原告は本件家屋を居住の用に供する意図のもとに居住利用していたと解する余地もないわけではない。

しかし他方、前記事実によると、原告は昭和四九年に磯邊商店本店建物二階部分に転居して以降は、同所を生活の本拠として現実の生活の全てを同所で行い、その後の昭和五三年一月からは本件家屋に居住して生活できたにもかかわらず、その後も従来通りに現実の生活の殆んど全てを磯邊商店本店建物において行つて来たこと、また、同所は原告が生活の本拠として生活するのに十分な規模、構造、設備及び生活環境を有しており、さらに原告は同所を郵便物の宛先及び税務署等の書類送付、連絡先としていること、原告が本件家屋で時折寝泊りするのは本件家屋の管理のためでもあることなどがうかがえるので、原告は、将来はともかくとしても本件土地及び本件家屋譲渡時においては、磯邊商店本店建物二階部分を現実の生活の本拠として現実に同所に居住して生活し、同所は原告の生活の本拠としての実体を有していたものと解することができる。

してみると、原告は、将来本件家屋に居住する意思を有し家財道具等を備え時折寝泊りしていたとしても、昭和四九年以降本件土地及び本件家屋譲渡時の昭和五五年一月まで約六年間は、本件家屋を主たる居住用の家屋として使用せず、かえつて磯邊商店本店建物二階部分を主として現実の生活の拠点として日常生活の殆んど全てを同所で行い、同所が原告の居住の用に供している家屋であつたものであることは、否定できない(なお、原告引用の松山地方裁判所昭和五四年(行ウ)第一〇号昭和五七年九月二七日判決は、本件とは事案を異にし適切でない)。

もつとも、原告は磯邊商店本店建物は、昭和五六年の増改築前は設備も不十分で安らぎを得る空間もなかつたので、将来は本件家屋を増改築し同所で安らぎのある生活をしたいと思つていたことを理由として、磯邊商店本店建物での生活は仮の一時的なものであつた旨主張するが、磯邊商店本店建物二階部分は増改築前といえども原告が生活するのに不十分な規模、構造、設備の建物とはいえなかつたし、事実、原告は昭和四九年以来同所に起居寝食し原告主張の研究開発に没頭し、同所は原告の生活の本拠としての実体を有して来たのであるから、少くとも本件土地及び本件家屋譲渡時においては、原告は磯邊商店本店建物を仮の一時的なものというよりはむしろ生活の本拠として利用生活していたことは明らかである。

なお、原告は家具一式を対象とした、昭和四四年六月一一日を始期とする長期火災保険契約につき昭和五二年一〇月一一日以降対象家具の所在地を森田家屋から本件家屋内にその所在地を変更していること、また、昭和五三年一月一〇日に住民登録を本件家屋所在地に移していることが認められるが、前者は前記認定のとおり本件家屋の所有権移転登記手続を終えた原告が家財道具を本件家屋に移転したことにともない変更手続をとつたにすぎないと認められ、後者についても、原告が本件家屋に居住していたとは認められない前記諸事実を考慮すれば、住民票の記載をもつて原告が本件家屋に居住していたとはいえない。

そうすると、原告は、昭和四九年磯邊商店本店建物に移転して以降本件家屋を生活の拠点としていたということはできず、したがつて本件家屋をもつて措置法三五条一項にいう「居住の用に供している家屋」ということはできない。

仮に、原告が磯邊商店本店建物と共に本件家屋をも居住用家屋として居住利用して来たとしても、原告は昭和四九年以降本件土地譲渡の昭和五五年一月まで磯邊商店本店建物を主として現実の生活の本拠として生活関係の殆んど全てを同所で行つて来たのであるから、措置法施行令二三条一項により従として居住の用に供して来た本件家屋及びその敷地である本件土地の譲渡につき措置法三五条一項を適用することはできない。

なお、措置法三五条一項を右のように解することは、原告に磯邊商店本店建物に居住することを強制することになるものでもないし、またある者の生活の拠点を決める際に同居関係にある配偶者等の生活状況を考慮して決めることはむしろ当然のことであつて、その結果、妻帯者と独身者との間に生活の拠点に差異が生じたとしても生活の実体の差異に基づくものであつて措置法三五条一項につき不合理な差別的解釈適用を行つたものとはとうていいえない。

4  次に、原告は、本件土地及び本件家屋を譲渡しその代金で磯邊商店本店建物三階部分を増築したのであるから、措置法三五条の立法趣旨からして、措置法三五条一項の特例の適用を受けるべき旨主張する。

しかしながら、措置法三五条一項は租税負担の免除という特例を定めたもので狭義厳格に解釈適用されるべきであつてたやすく拡張解釈すべきものではないから、原告主張のように本件土地及び本件家屋の売却代金をもつて事後に居住用家屋を増築したとしても、原告が本件家屋に居住していなかつた(居住用に使用していたとしても主として居住の用に供していなかつた)以上は、措置法三五条一項は適用されない。

三  措置法三五条一項に定める「当該家屋の敷地の用に供されている土地」の意義について

1  原告は、最高裁判所昭和四二年五月一九日判決を引用して、措置法三五条一項に定める「当該家屋の敷地に供されている土地」とは、所有者が居住用家屋の敷地に供する意図のもとに所有している土地でたりると主張する。

2  そこで、検討するに、居住用財産買換えの特例制度は、戦後の住宅事情にかんがみ、住宅建設を促進して国民生活の安定を図る目的から、昭和二七年に設けられた。当時の租税特別措置法(昭和二一年法律第二一号(ただし昭和二七年法律第六一号による改正後のもの。))一八条によると、譲渡財産も取得財産もともに居住用財産であることが要求され、居住用財産たる土地として「当該家屋の存する土地」と定められていた。

その後、昭和三二年に租税特別措置法が全文改正され(昭和三二年法律第二六号)、居住用財産たる土地を同法三五条四項一号において「当該家屋の敷地に供される土地」と定義するにいたつた。

他方、昭和三六年に至り、被告主張のような趣旨から居住用財産の譲渡所得について特別控除の制度が設けられた(旧措置法(ただし昭和三六年法律第四〇号による改正後のもの。)三八条の二第一項)。原告引用の最高裁判所昭和四二年五月一九日判決はこのころの事案であり、この当時は、原告主張のように二制度(買換えの特例制度と特別控除制度)が併存していた。

昭和三八年に至り、住宅建設促進という趣旨を徹底し、譲渡財産は「土地若しくは土地の上に存する権利又は家屋」でよく、従来の「居住の用に供する」との要件は要しないものとされた(旧措置法(ただし昭和三八年法律第三八年法律第六五号による改正後のもの)三五条一項)。したがつて、昭和三八年分以降においては、最高裁判所昭和四二年五月一九日判決で問題とした議論はなくなつた。

ところが、昭和四四年のいわゆる新土地税制によつて、被告主張のような趣旨から居住用財産買換えの特例制度が廃止され、これにかわつて昭和三六年以来実施してきた居住用財産の譲渡所得の特別控除制度を大幅に拡充した(新措置法三五条一項)。

3  以上の改正経過によると、居住用財産買換えの特例の制度は昭和二七年に創設され昭和四四年に廃止されたのに対し、居住用財産の譲渡所得の特別控除制度は昭和三六年に創設され昭和四四年に大幅に拡充されたものである。そして、右両制度の趣旨がいずれも住宅建設促進の趣旨を含み、控除額が昭和四四年の改正で飛躍的に増大されたことなどから考えると、原告主張のように居住用財産の買換えの特例制度が居住用財産の特別控除制度に吸収されたと考える余地がなくもない。

しかしながら、最高裁判所昭和四二年五月一九日判決の事案当時の居住用財産買換えの特例制度は、課税の減免ではなく、譲渡財産の値上り利益を取得財産に引き継ぐことにより課税の繰延べを図るものであるにすぎない(旧措置法三七条参照)。これに対し、本件で問題としている居住用財産の特別控除制度は、はつきりと免税にするものであるから、その解釈適用にもおのずから差異があるものといわなければならない(特に免税の場合の特例の解釈においては拡張解釈は厳に慎むべきである。)。しかも、措置法三五条一項においては「その敷地の用に供されている土地」と定め、「敷地に供される土地」とは文言上も明白に区別されていることからするならば、居住の用に供している家屋が現実に建築されていることが必要であり、原告主張のように、たとえその意図が客観的に明白である場合においても、所有者が居住用家屋の敷地に供する意図のもとに所有している土地でたりるとの解釈は到底成り立ちえない。

もつとも、原告は、措置法が狭義厳格に解釈すべきものであるとしても措置法三五条一項の趣旨を生かすことからすれば、原告主張の解釈に加え、当該財産譲渡後、社会通念上相当期間内に現実に居住用財産を取得したことを要件として加えればよい旨主張するが、原告主張のような要件を加えて解釈する法律上の根拠はみられない。

そうすると、仮に、原告が近い将来居住用家屋を建築する意図があつたとしても、本件土地譲渡当時において居住の用に供している家屋が現実に建築されていなかつたことは前記証拠を総合すれば明らかであるから、原告の主張は理由がない。

四  本件処分の適法性

以上のとおり、本件土地及び本件家屋の譲渡につき措置法三五条の規定の解釈適用を誤つたとの原告の主張は失当であり、本件処分の根拠及び計算に関するその余の点については当事者間になんら争いがないのであるから、本件処分は適法であるということができる。

五  結論

よつて、原告の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 村上博巳 小林一好 横山光雄)

別表 <略>

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